とある発達障害者の生き方

発達障害を持っている僕の感じたことや考え方を発信していきます。

20代の頃の悩み2

前回からの続きです。

前回の記事はこちら

 

octdelver.hatenablog.com

 病院で発達障害と診断された後、まずしようとしたことは職業訓練でした。

入った学科は金属加工科でした。ものづくりに関係した職業に就きたいと

思っていたので。ですが、この時の僕は自分の障害を理解しておらず、

金属加工での光や音に強いストレスを感じて体調を崩し、1か月もたたずに

辞めてしまいます。発達障害の人の特性の一つに感覚過敏があって、

全ての人がそうではないですが、健常者の人より様々な刺激を感じやすい人がいます。

僕もどちらかというと感覚過敏で、くすぐりに弱かったり、突発的な音が苦手です。

それなのに、当時は自己理解ができておらず、このような選択をしてしまいました。

 

次に障害者職業センターで検査を受けることになりました。

厚生労働省編一般職業適性検査(GATB)というものです。

結果は共応(運動能力)や手腕の器用さが大きく劣っていました。

書記的知覚(文字や数字を知覚する能力)、数処理能力(計算)は標準以上

ありましたので、このアンバランスな状態が発達障害の特性として出ているのかなと

感じました。

 

検査が終わってしばらくしてから、デイケアに通うことになりました。

ただ、通うごとに体調が悪くなっていって、通えなくなってしまいました。

思えば、この頃の自分は頑張って社会復帰しなくちゃという思いはあったものの

自分に合った方法が取れていませんでした。

空回りしていた、そんな感じです。

 

その後、あるきっかけがあって症状や悩みは改善に向かいます。